【vol.059】人間はどこまで動物か

「利己的な遺伝子」を訳した日高敏隆による著書。

人間にとって大切なものは何か。自然の中に生きる動植物の営みが、現代に生きる人間が忘れかけていることを思い出させてくれる。

曇った日には音が雲に反響するので、外からいろいろな音が聞こえてくる。

ほんとに冬眠する虫たちは、寒いからじっとしているわけではなく、一定の期間、冬の寒さを経験しなければ親になれないのだ

そもそもわれわれ人間は、何十万年か前にこの地球上にホモサピエンスという動物の一種として出現した時から、自然と一線を画したものとして己れの存在を認識していたのではあるまいか。

人間がいつのころか火を手に入れたとき、夜、自分たちのすみかに火をたいて、猛獣たちの来襲を防いだことであろう。そのとき人間は、遠くでこわごわとこちらを見ている獣たちを見て、俺たちはあいつらとはちがうと思ったのではなかろうか。

自然と一線を画し、自然と対決して生きる。それは、人間存在の根本的姿勢であった。それはもっとも広い意味で人間の文化である。

 日付が変わり、年が変わり、世紀が変わるのは、人間の問題でなく技術の問題である

考えてみれば国際関係でいつも使われる先進国、発展途上国ということばにも、大学受験の偏差値という概念にも、近ごろ新聞に大きく報道された上位30校の大学などという表現にも、それが如実に現れているではないか。

常に一本のスケールの上での到達度を問題にしようとしている。
一番大切なのはその一本のスケールなのか?

情報ということばの氾濫はどうも問題だと思えてしかたがない。
情報はそれを求めているものにとってのみ情報なのである。
あらゆるデータを情報と呼ぶのは、やはり何か間違っていると思えるのだが。

ガの出す性フェロモンは彼ら以外の生物にとっては情報ではないし、モンシロチョウのメスの羽が反射する紫外線の光も、人間にとっては情報ではない。

2016年22冊目。